各務原市議会 2019-09-11 令和 元年第 3回定例会-09月11日-02号
また、ほかにも調整区域に立地するものとしては、金弊社五社の中で加佐美神社、御井神社、村国神社の3つの神社、市役所の出先機関では稲羽市民サービスセンターと鵜沼サービスセンター、そして鉄道駅では、調整区域にあるのは名鉄鵜沼宿駅、部分的に調整区域にあるのはJR各務ヶ原駅と名鉄苧ケ瀬駅になります。
また、ほかにも調整区域に立地するものとしては、金弊社五社の中で加佐美神社、御井神社、村国神社の3つの神社、市役所の出先機関では稲羽市民サービスセンターと鵜沼サービスセンター、そして鉄道駅では、調整区域にあるのは名鉄鵜沼宿駅、部分的に調整区域にあるのはJR各務ヶ原駅と名鉄苧ケ瀬駅になります。
村国座の隣、村国神社は、郷土の英雄として村国男依がまつられ、さらに北へ進みますと、美濃須恵窯天狗谷遺跡が整備され、古墳時代から鎌倉時代まで都や各地に須恵器を生産出荷した足跡をかいま見ることができます。時代を超えた人々の次世代に伝えたかった文化と、自然の恵みを感じ取るタイムトラベル街道として、その魅力は無限大だと思います。 そこで伺います。
当時の人たちが私財をなげうって、郷土のために伝統芸能文化として、また大衆の娯楽として、村国神社祭礼の余興として現在までおよそ130年の伝統を守ってまいりました。村国座は、地元の市民にとっては郷土の英雄と並ぶ誇りであり、各務原市の魅力の1つとして考えております。私も余興当番のときには、小道具、大道具、黒子から台本読み、そして舞台を取り仕切る狂言方までやらせていただいておりました。
それと、来年度、全体の事業費が19年度に比べて多くなっているのではないかという話がございますが、その埋蔵文化財試掘調査事業費の中に市の事業で1つ入れておりまして、村国古墳群、村国神社の北に6世紀から7世紀ごろにつくられた古墳が15基ほどあります。
村国座は、完成以来約130年間、濃尾地震や伊勢湾台風など幾多の自然災害を免れるとともに、生活様式の変化や娯楽の多様化により農村歌舞伎が衰退し、全国各地で多くの芝居小屋が解体されていく中、今も村国神社の祭礼には子ども歌舞伎の舞台として立派に使われています。
市は、また各務野櫻苑を、ちょうど村国神社の近くに適切な土地がございましたので、そこにということを考えているわけでございます。 私は、桜という花は、日本人がこよなく愛する花だと思いますよ。ということでございます。そして、それがまた、都市ブランドに進化していくと思いますね。
そして、村国座平成の大修理、6世紀から7世紀の古墳山と村国神社、各務野櫻苑、おがせ池、皆楽座から中山道鵜沼宿へ、都市の中の風格ある歴史街道を誕生させます。 西の環境楽園、東のオールドストリート、人々がにぎわい都市に活力を生む新しいソフトウエアでございます。 3つは、都市の中の自然。私はかねがね、人間が住むに価する都市は、終極のところ公園都市であると考えてきました。時代はそう進化しつつあります。
伊木城跡や犬山橋北詰の城山等、もっと古くは「延喜式神名帳」に示されている飛鳥田神社、加佐美神社、村国神社、村国真墨田神社、それに御井神社など、挙げれば数え切れないほどの当市の名所旧跡を観光資源として一つ一つ環境整備をし、観光ルートをつくって、どこから、だれが来られても、大威張りで案内ができる観光名所にしてほしいと考えますが、いかがでしょう。市長さんのお考えを聞かせてください。
私は仮称花木公園内に池をつくり、木曽川から水を引き込み、新境川を流し、おがせ池に貯水をしてこれを村国神社脇の新境川に戻し、一定の距離ごとにせきを設け、水量も調整しつつ、水の量もそれぞれ考えながら新境川のしゅんせつ、おがせ池のしゅんせつを行い、一年中適量な貯水量の保持と、その水質基準を保持しておれば地下に浸透して優良な地下水として水源地に取水するものと思われます。
私たちは、先人が長い間培ってきた文化遺産に接するために、昭和四十年に「子供歌舞伎保存会」を設立し村国神社の例祭には子供歌舞伎を奉納しています。この伝統文化の継承により、祖先をしのび、住民の連帯感を強め、ふるさとを愛する心を養っています。 この伝統的な子供歌舞伎の上演は、地元のみならず、各務原市の誇りであり、私たちには後世に継承する責任があります。
また、上流部におきましては各務のおがせ町の村国神社の前、また各務の東町の砂防堰堤、須衛町の砂防河川の改良等を詰めてまいったところでございますけれども、まだ御指摘のように未施工のところもございますので、水害のない安心した街づくりのために一日も早く全線開通するように、県に対しまして陳情、要望を続けてまいりますので、何とぞ議会におかれましても御協力のほどをお願い申し上げます。